結びつけるものはもうない

見た目には、みんなが毎日、同じような生活を繰り返しながら、
でも一人一人違う心で、一人一人違う生活経験を組み立ててゆく。自分を作ってゆく。

その生活経験の積み重ねで、その一人一人の世界観…自分を取り巻く状況や、人生観が個人の中に出来上がってゆく。




水と油は簡単に混ざることはない
だから無理して混ぜる必要はない

水は油になる必要がどこにある?
油は水に…




何だろなぁ…
自分がやるからって人が同じようなコトを選び、同じようなコトをするわけない。
自分ならこうする、自分ならこう言う…は
「自分」だから

だから他人になろうとしてもなれないし、
なったつもりでも違和感が生まれる。
他人に同じような考えを押し付けようとしても無理。

ちがう心なのだから。

似たような感覚は持ち合わせることができる人達がいても、
その人達とだってそっくり同じにはならない。

同じような価値観が初めからないなら
尚更…その人の行動、考えに近づけすらしない。


違う人間が、違う心が寄り添って、
補って、支え合って、助け合って、
ぶつかって、話し合って
違う人間、違う心だって認め合って、
その存在を大切にしようってする。


全部を完璧になんて出来ない、
だけどそれを思う事、
少しでもやってみること、
気付くことさえしないなら…
このことすら「理想」「ただの綺麗事」で片付けるなら…


哀しいね。
寂しいね。
もったいないね。



小さな綺麗な花の咲かせる種を心に植えて、
私は自分の気付いたことを大切に生きていきたい。哀しい、寂しい、もったいない人生は送りたくないから。
水でも、油でもいい。
違うことは分かっているのだから。



自作自演…
いくらなんでも「なりすまし」までするとは…ってするような人かも(苦笑)

なりすましとは分かっても吐きました。
それくらい酷い内容でした。
もう向ける気持ちは無い。